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ヴェネツィア ときどき イタリア

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モンドリアン展

モンドリアン
ブレシャ、サンタ・ジュリア美術館

モンドリアン展_a0091348_535595.jpg


Mondrian
Museo di Santa Giulia
http://www.lineadombra.it/client/brescia_mondrian_01.php?sel=b2007Btn_mc&id=10079&year=2007

ずっと行きたいと思っていて、閉展間際にようやく駆け込むことができた。
そのほとんど(全作品?)が、オランダ、デン・ハーグ美術館の所蔵品で、ピエル・モンドリアンの作品を年代順に紹介している。
黒の格子に、赤・青・黄の3原色を並べた絵で知られるモンドリアンだが、ここへたどり着くまでにいろいろな試行錯誤を繰り返していたことがわかる。
1908年の「太陽の下の風車(筆者訳、Mulino al sole)」は、題材といい強い黄色、太い筆跡など、まるでゴッホ。同じ年の「枯れゆく菊(同、Crisantemo morente)」は、そのうねりが遠くから見るとムンクのよう。そして、さまざまな点描による習作を経たあと、スコーンと抜けるかのように、題材が幾何学化される。が、この時点ではまだ、どちらがいいとも言い難く、むしろ点描のほうが絵としてはきれい。
一方で、木、森、という題材は早くから気になるテーマだったのだろう。後の抽象画への予兆を見せつつ、それだけ見てもいい絵が多い。
モンドリアン展_a0091348_5364423.jpg

そして、1910年「赤い木」(Albero Rosso)、11年「灰色の木」(Albero grigio)、12年「花の咲くりんごの木」(Melo in fiore)と、具体的な「木」という素材から、やがてあのタテ・ヨコの完全な抽象画へいたる、途中過程のようなシリーズ。自分の絵のなかから、曲線、斜めの線を省いていく。なぜなら、
「縦線と横線という対立する2つの表現は、どこにでも存在し、全てのものを支配する。その相互作用が生命を構成する」から。
線を単純化する、それはとりもなおさず、有機物を無機化するということのようだ。木、沼、運河、暗闇、霧、雲・・・と、空気中に存在する湿気がもたらす、あいまいな色、もやや淀み、それらを取り除いたところに「純な」成分として残ったのが、線ではタテとヨコなのだろう。そして、色も、ピンクや水色、ベージュといった中間色から3原色へと集約されていく。
モンドリアン展_a0091348_5372622.jpg

完璧で潔癖な絵はしかし、バランスが整いすぎて音すらも完全に取り除かれてしまった。その音とリズムを取り戻したのが、あの晩年の「ブロードウェイ・ブギウギ」なのかもしれない。(注・ブギウギは出展なし)

6 aprile 2007
by fumieve | 2007-04-07 05:33 | 見る・観る
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