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ヴェネツィア ときどき イタリア

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ルネサンスのボローニャ

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Oratorio di Santa Cecilia
Pinacoteca Nazionale di Bologna
Bologna

ヨーロッパ最古の大学の町であり、中世イタリアの自由都市の旗手として発展したボローニャ。
町の中心にあたるマッジョーレ広場を囲む建物や、そこに建つ大聖堂、またすぐ近くにある、寄り添うようにも競い合うようにも建つ2本の斜塔、レンガの重厚な建築物が多いせいか、「中世の町」というイメージが強い。
そんなボローニャの町、現在の大学の校舎が集中するザンボーニ通りの一角に、ボローニャのルネサンスが隠されている。
オラトリオ・ディ・サンタ・チェチリア(Oratorio di Santa Cecilia、聖チェチリア礼拝堂)。
初めに建造されたのがいつかははっきりしないが、少なくとも1267年の記録には既に記載があるという。大きな改装があったのは、15世紀。14世紀から15世紀にかけて、この町で大きな役割を担ったベンティヴォリオ家によるもの。特に、礼拝堂内部の左右の壁に、フレスコで聖チェチリアの伝説を描かせた。請け負ったのは、フランチェスコ・フランチャ、ロレンツォ・コスタ、アミーコ・アスペルティーニ、1505-06年の間に描かれた。
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紀元後、3世紀のローマ。裕福な家庭の娘チェチリアは、キリスト教を信仰し、神に生涯を捧げることを誓うが、異教者ヴァレリアーノと結婚させられる。天使の仲介にも助けられ、ヴァレリアーノ、そしてその弟(兄?)ティブルツィオを改宗させることに成功するが、兄弟はその改宗のために打ち首の刑に処させる。
チェチリアも有罪となるが、釜茹での刑でも、打ち首にしても、不思議なことにその命を奪うことはできなかった。そして、全財産を貧しいものに自ら分け与えた後、死が訪れる・・・。
以上のお話が10の場面に分かれて描かれている。構図や人々の表情、色彩など、ペルジーノやラファエッロの影響が強く見られる。

ラファエッロといえば、やはりすぐ近くの国立絵画館(Pinacoteca Nazionale di Bologna)には、ラファエッロによる美しい「聖チェチリア」がある。聖チェチリアは、14世紀の終わりごろから音楽の守護聖人として知られるようになるが、ラファエッロの絵では、そちらの姿で描かれている。こちらは、1513年。

礼拝堂の聖チェチリアを描かせたベンティヴォリオ家は1506年に教皇庁により町から追放、代わって政権を任されたのがドゥリオーリ家。ラファエッロの祭壇画は、サン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会内、ドゥリオーリ家礼拝堂のために依頼された。

10年以内に同じ町で描かれた、2つの聖チェチリアを比べてみるのも面白い。

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11 aprile 2007
by fumieve | 2007-04-12 23:36 | 見る・観る
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