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ヴェネツィア ときどき イタリア

fumiemve.exblog.jp

リヴィオ・セグーゾ 時の中の光 作品1978-2007

Livio Seguso
La Luce nel Tempo. Opere 1978/2007
Treviso, Casa dei Carraresi
18 mag- 1° lug 2007
www.livioseguso.it

トレヴィーゾ、カーザ・デイ・カッラレージ
7月1日まで

ヴェネツィア、ムラーノ出身の彫刻家、リヴィオ・セグーゾ氏の個展。
地元ヴェネツィアの国際ビエンナーレ展はもちろん、日本をはじめ、中国からアメリカまで世界の各地で展覧会を開いているのに、このヴェネツィアから30分ほど北に向かった小さいけど美しいトレヴィーゾの町での個展は、意外にも初めてなのだそう。

ここは、いつも大規模な美術展をやっているところで、正直のところいつも会場の狭さと動線の悪さにうんざりしてしまうこともしばしば。
ところが今回は、彫刻からデッサン、絵まで大小100点もの作品が並ぶとはいえ、完全な個展。全体に作品がゆったり、贅沢に並んでいるのがとてもよい。特に、小さな部屋には中央に、彫刻が1つだけ置かれているため、スポットを浴びたガラスの陰までが完全に四方に延びていて、あたかもそこまでが作品のようで見事。いや、ほんとうはそこまで意図して作られた作品なのだろう。
実は、スタジオに度々おじゃまさせていただいていることもあって、作品のほとんどは目に馴染んだものなのだが、いつもは皆いっせいに、賑やかにこちらに訴えかけてくるのに対し、ここではそれぞれが堂々と、凛としていて、あたかも孤高の女王のよう。といっても決して冷たさを感じるのではなく、作品が「水を得た魚」のように、より生き生きとして見える。

セグーゾ氏の作品は、いつも中にまあるい気泡をはらんでいて、それはずっと、卵、すなわち命、なのだと勝手に思っていた。なにかこれから生まれるもの。
ところが、今回こうして改めて作品を見ていて、これはもしかしたら、何か既に人の中にあるもの、それが完全に浄化、純化されて、完璧な球体となってクリスタルの中に封印されたものなのかもしれない、と思った。閉じ込められた気泡は、外に出てくることは決してない。だが、光を通すことによって、そこに「ある」ことがわかる。いや、絶妙な効果を発揮する。
最近、人に勧められて九鬼周造氏の「『いき』の構造」を読んだ。
(青空文庫にて:www.aozora.gr.jp)じっくり読む余裕がなく、斜め読みした、と言ったほうがいいくらいなのだが、そうだ、セグーゾ氏の作品には『いき』があるのだ、と思った。正円や正方形。完璧な幾何形。バランス。何かそれをほんの少し崩すことによって生まれる美しさ。そして何より、『いき』は、何か人を惹き付けるものなのだが、それがあからさまであってはならない。
使いなれたガラス、クリスタルという素材で究極にそぎ落とした美を完成したセグーゾ氏は、やがて別の素材に出会っていく。はじめは大理石。そして木。大理石ももちろんだが、それこそ木材は彼の完成した世界からは程遠い素材だったのではないか。だが、はじめに無の美を追求した彼だからこそ、曲線や不規則な動きを持つ「木」ですらも、彼の美学の中に取り込んでいってしまう。

氏の意向により、本格的な展覧会ながら入場は無料。近隣在住の方は、ぜひ足を運んでほしい。

19 mag 2007
by fumieve | 2007-05-20 07:47 | 見る・観る
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