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第52回ビエンナーレ国際美術展 日本館

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52° Esposizione Internazionale d’Arte
La Biennale di Venezia
Padiglione giapponese

「私たちの過去に、未来はあるのか」
ジャルディーニ会場内

これまでに何度も書いてきているように、現代美術を見ると「美術とは何か?」と常に悩まされることになる。びっくりさせること。人と違うこと。メッセージを伝えること。自己表現。
今回、日本館で見せているのは、岡部昌生さんの作品。
広島の軍港、宇品の鉄道駅。廃墟となり残されていた被爆した古い石たち。駅が解体されるにあたって、そのかつての記憶を、石のフロッタージュを取ることで伝えようと試みた。
フロッタージュとは、対象物に紙を貼り付け、鉛筆で表面をこすりだす、という手法。そこにあるものを写しとる、余計なものを加えずにそのまま見せる、ある意味ドキュメンタリー写真に近いかもしれない。対象は同じでも、それを写す人によって違うものになる。
そして、写真が視覚による転写であるならば、これは触覚による転写だ。紙1枚通してとはいえ、対象に「自らの手で」触れる。なめらかさやざらつき、湿度や温度。弾力。形。表情。そう広くもない日本館内、壁面全体を、1400枚以上のフロッタージュが覆う。間には、ところどころ、押し花、泥絵、新聞の1面が並ぶ。駅の「解体後」に生えてきた植物、その跡の泥、記事、どれも「その後」を伝える作品、というわけだ。

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いまだ、ハイテクの国、最先端のアニメやマンガの国のイメージを持つ日本が、このあまりにも原始的な技術による作品を展示しているのは、意外な驚きを与えるかもしれない。
なにより、静かな作品だ。館内で聞こえるのは、入口で見せているフロッタージュ中の岡部さんの鉛筆の音。そのフロッタージュの数の多さに圧倒される。そしてその地に、思いをはせる。
館内の中央に、現場から運んできた本物の「石」が横たわっている。希望者は、そこでフロッタージュを試してみることができる。初めはなるべく大きなストロークで、そしてだんだん細かく強く。

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今回の展示にあたり、日本館チームは、数回にわたりワークショップを行った。そこに参加する機会を得て、直接、岡部さん本人の手で作品が生み出されているのを目にできたのは非常に幸運だった。フロッタージュという古いけど新しい、それ自体の魅力。説明を受けて、実際にやってみる、大人たちも子供たちもそのなんて楽しそうなこと。そして、それを、穏やかに忍耐強く伝える岡部さん自身。まわりで支える、若い学生スタッフたち。

全参加国76という巨大なイベントの中で、メッセージを100%伝えるのは非常に難しい。だが、新しい手法や材質、人工的なまでの色使い、デジタル加工が氾濫する中で、アナログでモノトーンが基調の静かな作品は、確かな個性を放っていると思う。少しでも多くの人の目に触れることを期待したい。

5 lug 2007
by fumieve | 2007-07-06 07:04 | 見る・観る
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