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イメージの改革。ローマとビザンツの間の初期キリスト教美術

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ヴィチェンツァ、レオーニ・モンタナーリ館美術館
11月18日まで

La rivoluzione dell’immagine
Arte paleocristiana tra Roma e Bisanzio
Vicenza, Gallerie di Palazzo Leoni Montanari
8 settembre – 18 novembre, 2007
http://www.palazzomontanari.com

5世紀初め、西ローマ帝国の崩壊とともに、古代ギリシャ~ローマの流れを組む「文化」も消滅し、美術の世界でもヨーロッパは長らく「プリミティブ」な表現しか持たなくなった、と考えるのは間違い。特に、キリスト教伝搬の初期には、禁教時代からやがて国教になってからも、ローマの文化、ローマの美術表現をそのまま踏襲していたのである。
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たとえば当初、キリストはしばしば「若き羊飼い」の姿で表されていた。ローマのカタコンベ内の壁画や、石棺にしばしばその表現が見られるほか、羊を背に背負った彫像もよく知られている。また、ギリシャ神話のオルフェオ、動物だちの間で竪琴を奏でる青年もまた、キリストと同一視して好んで使われていた。

数世紀にわたるキリスト教の教義の議論の中で、やがてキリストの神聖化、絶対化が確立、それは特に、東ローマ帝国内で、皇帝の神聖化、絶対化と同一化する。自然で親しみやすい、ひげのない若者の姿ではなく、必要なのはもはや、光輪を背負い、大きな目、高い鼻、厳しい表情で真正面を見据え、黄金の中に浮かび上がる、神々しくも「非・人間的」なキリストの姿であった。聖像が人間と同じであってはならず、神々も人間的な「自然な姿」で表現されたギリシャの伝統とは考えを全く異にする。(写真は東ローマ皇帝ジュスティニアヌス大帝)
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絵画・彫刻、コミッションあってこそが美術であった中で、自然への観察眼やその表現、遠近法や解剖学的知識等、不要となった技術はやがて失われていく。

・・・とまあ、こんなことをこの展覧会では言いたいのであろうし、いい企画だと思うのだが、正直に言うと、今一つ、物足りなかった。展示品83点だから決して少ない方ではないし、大理石、モザイク、フレスコ画、ガラス、ブロンズ、テンペラ、織物に金細工・・・と幅も広いのだが、ひょっとするとその幅の広さが、かえって焦点をぼかしているのかもしれない。ちょっと期待しすぎたということもあるかもしれない。
もともとはローマの既存の文化の模倣から始まったキリスト教美術が、ローマ的要素を強く残しながらも「ビザンチン風」と言われるスタイルを確立していく、そのあたりがどこまで伝わっているのか疑問だった。
もっとも、ヴァチカン美術館内の、ふだんならヴァチカンに行っても(時間がない、または疲れ果てて)なかなか初期キリスト教美術館までたどりつけないので、そこの所蔵品などをじっくり見ることができたのはよかったといえる。
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一方、無料の(宣伝用の)立派なパンフレットや、別にチケット売り場でくれる各セクションの詳しい解説を書いた簡易冊子などは大変気が利いている。また、1つ1つ、展示品に合わせて作られた展示台や展示ケースも立派。さすが合併に合併を重ねて今やイタリア一(?)銀行の所有だけのことはあって、いかにもお金持ち。ただし順路には少々難点があった。
不運だったのは、ちょうど私が入ったときに、ガイドに案内されたグループが、前後合わせて3組もいたこと。しかもそのうちの1人のガイドさんの声が高くて大きくて、おまけによくしゃべること。あれだけしゃべられたら、普通の人はきっと聞くのに精いっぱいでよく見ないうちに帰ることになるだろう。また、お金持ちなんだから、最近は各地の美術館や観光地で使われている、無線&イヤホン・ガイドを即刻導入してほしい。

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午後3時前に着いたときには、ヴィチェンツァの町中、通りにはほとんど人がいなくてひっそりしていたのに、5時過ぎに美術館から出てきたら、さすが土曜日の午後、メイン・ストリートのパッラーディオ通り(Corso Palladio)はものすごい人になっていた。人出を避けて、シニョーリ広場(piazza dei signori)で美しい空を観察して、駅へと向かった。

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10 novembre 2007
by fumieve | 2007-11-11 09:59 | 見る・観る
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