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ヴェネツィア ときどき イタリア

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オペラとの出会い~ヘンデル「アグリッピーナ」公演を前に

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Incontra con l’opera
Sale Apollinee Teatro La Fenice

公演はマリブラン劇場(Teatro Malibran):
10月9日(金)19:00
11日(日)15:30
14日(水)19:00
16日(金)19:00
18日(日)15:30

今年没後250年を迎えたヘンデルは、1685年、ドイツのハレに生まれる。オルガン奏者として音楽を始めた当初からその非凡な才能を発揮し、やがて、商業都市、自由都市であったハンブルグに向かい、若くして成功を収める。
1707年、21歳のときに奨学金を手にイタリア留学。フィレンツェで、アレッサンドロ・スカルラッティに出会った後、ローマ、ナポリを経て、ヴェネツィアにやってくる。
ヘンデルのイタリア滞在については詳しくわかっていない点も多いのだが、この4都市に滞在したこと、ローマ滞在中には主にオラトリオなどの宗教音楽の作曲を手掛けている。

ヴェネツィアにとって、そしておそらくヘンデル自身にとっても幸運だったのは、ヴェネツィア出身の元・枢機卿で当時(なんと)ナポリ副王になっていたヴィンチェンツォ・グリマーニとの出会い。
ヴェネツィアでグリマーニ家といえば、(最強だったのは1世紀以上前とはいえ)芸術や古代文化の愛好家であり、パトロンであることで知られる。そのグリマーニが、ヘンデルを、自ら所有するサン・ジョヴァンニ・クリゾストモ劇場で上演するオペラを作曲するよう、ヴェネツィアに送り込んだ。
同名の教会のすぐそばに建っていた劇場は、現在、マリブラン劇場(Teatro Malibran)と呼ばれる。そこで、ヘンデルがオペラ「アグリッピーナ」を発表したのは、1709年12月のことだった。
つまり、今年は同作品の初演から300周年にあたり、それが全く同じ劇場で再演されることになる。





オペラとの出会い~ヘンデル「アグリッピーナ」公演を前に_a0091348_18524318.jpg


アグリッピーナは、皇帝クラウディオの2番めの妻であり、のちに「暴君」として知られるようになるネロの実母。ネロをどうしても皇帝にしたいがために、クラウディオと結婚し、連れ子を皇帝の養子にさせることに成功する。
ただ、歴史上の人物を使っているが、史実とは異なる創作である。
たとえば、アグリッピーナの、いろいろな意味でライバルとして登場するポッペアは、オットーネの妻でネロの愛人だが、ここではネロを陥れる役に回る。全体に、話を面白くするためにうまく年代を縮めたりしてある。

台本は、ヴィンチェンツォ・グリマーニ、その人。
ではなぜ、あえてこの物語なのか?
1つめには、ヴェネツィア共和国が常に、古代ローマ共和国の後継者であることを自認していたこと。一方で、皇帝たちによるローマ帝国は、当時のローマ法王庁を直接連想させ、ヴェネツィアにとって鼻もちならぬ存在であったこと。ローマ皇帝たちの堕落や腐敗は、そのまま法王庁のそれとして、悪い手本とされた。ヴェネツィア共和国=ローマ共和国という良き手本と対照的な存在であった。

その大半が、「コン・ダ・カーポ」と呼ばれる構成であるアリアは、単純に数だけ数えても、アグリッピーナ8、ポッペア8、オットーネ7、クラウディオ6、と、完全に均衡、ヒエラルキーを保っている。

・・・と、ここまでは、ボローニャ大学教授ビアンコーニ(Lorenzo Bianconi)氏の解説。
音楽的にも、もっとかなり詳しく説明があったのだが、長くなりすぎるのでそれはまた、実際に聴いてから追加したいと思う。

そして、お待ちかね、ファビオ・ビオンディ(Fabio Biondi)氏の登場。
個人的には数年前より大ファン、「のだめ」ならぬ、弾いて指揮する、舞台ではめちゃくちゃかっこいいスーパースター、ビオンディ氏だが、ご本人はのだめの千秋と全然違って、中部イタリアの典型的なお父さん風。あまりにもふつうで、ヴェネツィアの町の中で出会っても絶対に気付かないだろうし、・・・トスカーナの丘陵地帯で牛の世話をしていてもたぶんまったく違和感がないと思う。(失礼!!!・・・でもほんと・・・)もっとも、そこがますますいいのだが。

冗談はさておき、ビオンディ氏の補足によると、当時、サン・ジョヴァンニ・クリゾストモでの成功はすなわち、「クレジット・カード」手にするようなもの。・・・???
つまり、そのままヨーロッパ社会での成功を意味したらしい。そしてこのアグリッピーナ公演は、観客を大興奮の渦に巻き込んだ。
スカルラッティはというと、この劇場ではあまり大きな成功を得られなかったらしい。
一方、ヘンデルは、グリマーニに直接庇護されていたということもあるが、政治的のみならず、音楽的にも、この作品は完全にヴェネツィアの聴衆のために書かれた作品であった。

さて、今回の公演にあたり、「工夫したのは配役。バロック・オペラでは通常、カストラートの役の扱いに苦労するが、今回は、ネローネ、オットーネとも、非常に優秀な男性ソプラノに役を任せることができた。まず、ここでキャスティングのバランスがとれたこと、また、通奏低音をダブルにして、当時の姿に近付けた」そう。
とはいえ、オーケストラは今回、いつものチーム・ビオンディ、Europa Galanteではなく、フェニーチェ劇場オーケストラでの演奏となった。彼らとも共通の目的のもとに、インタラクティブないい仕事ができた、と言う。

また、舞台、衣装、照明等、これはもはや定番、例年通り、ヴェネツィア建築大学(IUAV)デザイン&アート学部とのコラボとなった。ご子息がやはり同大学で学んでいるというビオンディ氏は、若い学生たちとの対話に刺激を受けたそう。今回は伝統主義にのっとった、非常に美しい衣装だそうで、これはこちらも楽しみである。

これまでのビオンディ氏ヴェネツィア公演についてはこちら:
2007年10月 ヴィヴァルディ「バヤゼット」
2008年10月 フランチェスコ・カヴァッリ「キューピッドの矢の効用」
(→とその、「オペラとの出会い」)


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5 ottobre 2009
by fumieve | 2009-10-06 08:48 | 学ぶ・調べる
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